本誓寺の由来と歴史

坂本山重願院 本誓寺

本誓寺大門
旧加賀藩家老・長家の屋敷門であったが明治初年に金沢藩庁門となりました。
その後県庁が美川に移ると、宗門立加賀教校の責任者であった本誓寺住職・松本白華が譲り受けました。

住所
白山市東一番町12番地 本誓寺
形式
薬医門 桟瓦葺
構造
切妻造平入 3間1戸口 両桟付 前口6.02m 高さ6m

この門は、もともと加賀藩の重臣・長家の屋敷門でありました。
この門の建築施工は、塔札の発見により判明したことによると、寛政12年(1800)12月に着工し、翌享和元年3月に竣工を見ています。
棟梁は金沢材木町大工・作之丞となっています。

また、木材は浅野川谷の炭釜より切り出した欅の1本造りと伝えられています。
長家屋敷は明治初年に金沢藩庁に充てられ、更に県庁が美川に移されると長家の屋敷は宗門立の真宗加賀教校が使用することになりました。明治13年、前田利嗣がこれを摂取し、前田家別邸として改修しました。
その折にこの門は解体され別の場所に収蔵されていましたので、運命的とも言える同15年3月の長家炎上の際に被害に合わずにすみました。当時、宗門立加賀教校の責任者であった本誓寺・松本白華住職が譲り受け「本誓寺の大門」として、現在地に移築したものであります。

本誓寺御彌堂

本誓寺の由来

この本誓寺は、かって天台宗歓喜心院無量寺と号し、養老3年(719)円貞が開基しました。
承元元年(1207)親鸞聖人が承元の法難によって越後へ流罪の折、この近くを通られました。
その頃のこの地の住職は円政といいましたが、かつて京の吉水教団で法然上人の門下として、親鸞聖人とともにお念仏の教えを聴聞されていた、いわば吉水教団の一員でありました。
親鸞聖人流罪の2年前に、この地で歓喜心院無量寺の住職として派遣されていました。
法然門下の一員である親鸞聖人が近くを通られると聞いて、懐かしさと世情の動き等について、語合いたいとの思いに駆られました。聖人がこの辺りを通られたのは3月中旬頃と推定されます。ちょうどこの近くを流れていた倉部川のところで、折悪しく白山からの雪解け水が氾濫し、どうしても渡れなくなり、やむなくそこで3日間足止めされたと道中記録に残っております。
この3日間、円政は聖人と親しくお会いになり、その人格と教えの深さに強く感動され、程無くして天台宗より転宗されて、ここに真宗坂本山重願院本誓寺を開かれたと言われています。

従ってこの寺院は、真宗の寺院として全国的に見ても、早い時期の開基であると推察されます。
以来、八百余年の歴史を経て、現住職(松本 純師)で三十一代目になります。
現在の建物はこの地に移るまでに、4回程災害に遭い建て替えられたと言われていますが、今の本堂は文化8年(1811)に建造され
たもので、約200余年を経過しています。
その真宗初代(開基)の円政御坊が、近江(滋賀県)の比叡山のふもと坂本の出身であるところから、坂本山という山号がつけられました。
この寺には、代々の住職がたくさんの法宝物を収集されたことから、真宗以外の古い宝物が収蔵されております。
これらの法宝物が、この本誓寺へどのような経路で辿り着いたのか?そんな過去からのミステリーに思いを馳せるのも、寺めぐりの醍醐味です。
毎年7月25日から27日の3日間、このお寺を全部開放して、虫干法会が開催されています。