
坂本山 重願院 本誓寺
本誓寺 御彌堂
奈良時代の修験者泰澄(683~767)は養老元年(717)白山を開山し、修験道、神道、仏教の道場とし、白山信仰の礎を築きました。
2年後の養老三年(719)、泰澄大師は松任の地に歓喜心院 無量寺(天台宗)と号す寺院を建立し、これが本誓寺の前身と伝えられます。
約500年後、承元元年(1207)親鸞聖人が承元の法難によって越後へ流罪の折、この近くを通られました。当時の歓喜心院無量寺の住職・円政は、かつて京都の吉水教団で法然上人の門下として、親鸞聖人とともにお念仏の教えを聴聞した一人でありました。法然門下の一員である親鸞聖人が近くを通られると聞いて、懐かしさとともに世情を語り合いたいとの思いに駆られました。親鸞聖人がこの辺りを通られたのは3月中旬頃と推定されます。ちょうどこの近くを流れていた倉部川のところで、折悪しく白山からの雪解け水が氾濫し、どうしても渡れなくなり、やむなくそこで3日間足止めされたと道中記録に残っております。この3日間、円政は親鸞聖人と親しくお会いになり、その人格と教えの深さに強く深く感銘を受けました。そして親鸞聖人より坂本山 重願院 本誓寺の寺号を賜り、天台宗より転宗し、親鸞聖人の教えをいただき念仏の道をあゆむ寺院として今日に至ります。
よって本誓寺は、親鸞聖人の教えをいただく道場として、早い時期にその歩みを始めた寺院の一つと伝えられています。
なお、その真宗初代(開基)の円政御房が、近江(滋賀県)の比叡山のふもと坂本の出身であるところから、坂本山という山号を賜りました。
以来、800余年の歴史を経て、現住職(松本 純)で三十一代目になります。
現在の建物はこの地に移るまでに4度の災害に遭い、そのたびに建て替えられましたが、今の本堂は文化八年(1811)に建造されたもので、約200余年を経過しています。
本誓寺には、代々の住職が守り伝えてきた多くの法宝物があり、真宗以前の時代の貴重な品々も含まれています。それぞれの由来には長い歴史が秘められており、往時の人々の信仰のかたちを今に伝えています。
「本誓寺の法宝物」ページにて詳しく紹介しております。興味をお持ちになられましたら、毎年7月25日から27日の3日間、寺をすべて開放して厳修される『虫干法会(むしぼしほうえ)』に、ぜひお参りください。
- 住所
- 白山市東一番町12番地 本誓寺
- 形式
- 薬医門 桟瓦葺
- 構造
- 切妻造平入 3間1戸口 両桟付 前口6.02m 高さ6m
本誓寺の大門は、もともと加賀藩の重臣・長家の屋敷門でありました。
この門の建築施工は、棟札の発見により判明したことによると、寛政12年(1800)12月に着工し、翌享和元年3月に竣工を見ています。
棟梁は金沢下材木町の大工・作之丞で、木材は浅野川上流の炭釜(現・金沢市高池町)より切り出した欅の一本造りと伝えられています。
長家屋敷は明治初年に金沢藩庁に充てられ、更に県庁が美川に移されると長家の屋敷は宗門立の真宗加賀教校が使用することになりました。明治13年、前田利嗣がこれを接収し、前田家別邸として改修しました。
その折にこの門は解体され別の場所に収蔵されていましたので、明治15年3月の長家屋敷の火災に際しても被害を免れました。当時、宗門立加賀教校の責任者であった本誓寺住職・松本白華が譲り受け「本誓寺の大門」として、現在地に移築したものであります。
昭和42年7月18日、松任市(現白山市)の文化財に指定されました。


